松尾 功一 個人のホームページ


私個人のホームページを御覧頂誠に有り難う御座います。このホームページには私個人の紹介と経歴それに 今抱えている問題、社会への要望(かなわぬ事と信じながら)と批判(無駄な抵抗と信じつつ)等をだらだらと 述べさせて頂きます。又大変失礼とは存じますが「個人情報保護法」並びに迷惑メールの排除を踏まえて、私 個人の情報は割愛させて頂きました。どうぞ御理解と御了承の程お願い申し上げます。

先ずは私の自己紹介をさせて頂きます。


氏  名    松尾 功一(まつお こういち)

ローマ字    Kouichi Matsuo  但しパスポートの表記は Koichiとなります

生年月日    昭和1X年X月XX日  19XX/X/XX

       
学  歴    昭和25年4月   東京都練馬区立某小学校入学
        昭和31年4月   東京都千代田区立某中学入学
        昭和34年4月   東京都立某高等学校入学
        昭和37年4月   私立某大学理工学部電気工学科入学
        昭和41年3月   上記大学を無事卒業

   以降は学歴とは言えませんが
        昭和49年4月   名古屋大学医学部第1外科研究生として入局
        昭和53年4月   名古屋市立大学医学部衛生学教室研究員として入局
        平成 3年3月   名古屋市立大学医学部より
                                      「医学博士」の学位を授与される。

職  歴    昭和43年4月   国立岐阜工業高等専門学校電子工学科助手
        昭和45年4月   労働福祉事業団
                  労災義肢センター主任研究員
                   (現在名:リハビリテーション工学センター)

   次は職歴とは到底言える代物では有りませんが
                昭和52年12月  Texas Heart Institute Artificial Heart Labo.
                  Houston Texas 77025 U.S.A.

   ここからは現実の職歴です。
        昭和53年4月   無職(失業保険を受給して生活)
        昭和54年1月   松栄電子研究所を創立
        昭和59年1月   株式会社 松栄電子研究所に改組
                  現在に至ります。

以上が私の経歴の概略です。


※人生計画

私は自分の一生を3つの期間に分けています。
第一期間: 0歳から22歳までを「成長期」
第二期間:23歳から50歳までを「成熟期」
第三期間:51歳から以降を   「成楽期」
「成楽期」:この言葉は日本語としては存在しません。私の造成語で意味は楽しみを作る、 つまり人生を大いに楽しく生きましょうと言う意味に理解して下さい。


※第一期間

<赤ん坊時代>

この期間はこの世に生を受けてから、教育を受け大学を卒業するまでで、自分の意志より自分を取り巻く環境で、 進む道が決まっている様な思いがします。
先ずは私に取って唯一残されている1歳の時の写真、及び両親に抱かれている写真をお見せ致します。

<幼少・小学生時代>

左の写真の撮影時期は私の3歳の頃です。場所は母の実家の庭先で母屋の前面の庭から東側 にある日本庭園の間にある木戸の前です。中の写真は自宅の鶏小屋の前で写したものです。当時父が昔の仕事の延長上?飼育して卵を自給自足していました。 右の写真は父と姉の3人で海水浴に行った時の写真です。写真でもお分かりの様に、父は体が弱かったせいで 私を医者にしたく小学生の頃より当時の学校の教頭先生に家庭教師をお願い致しスパルタ教育を 強いられていました。
 


<中学生時代>

   
左の写真は父の晩年に姉と3人で九州の郷里に旅行した時のものです。 もう一人写っている人は母の弟です。右の写真は同じ時に田舎の近くの農協の柱に 寄りかかって知人を待っている時のものです。

<高校生時代>

私の人生の中で最も楽しい時期は高校時代だったと言っても過言では有りません。その一例としては、  今で言う「悪餓鬼」で、数人の仲間でしたい放題の「悪る」をして来ました。但し、今の高校生の 「悪る」とは大きく異なります。我々の「悪る」は決して他人に 迷惑をかけたり、傷を付けたりはしませんでしたし、  後から笑って済ませる事が出来る「悪る」でした。早い話が授業をさぼって喫茶店でくつろぐとか、遅刻の常習犯  とかで、卒業の時に出席日数が不足し担任の先生が出席簿を改ざんし、何とか卒業出来た次第です。

 上段の写真は高校の校庭にある通称「おせんち山」でのスナップで、下段の写真はラグビーの試合の後の非常に  疲労しているスナップです。

 この高校は都内でも特徴のある学校で、その例を少しお話しますと、1年生の時のみでしたが高校ながら大学と同じ2期制でしたし、 体育関係ではイギリスに十年以上留学していたおばあさん先生が居ましたし、設備では室内プール、 大きな体育館には吊り輪を始め体操関係の設備は完備していました。 外国語教育では全国で初めて視聴覚教室が出来ましたし、高校生の留学制度のAFSの試験実施校でもありました。 英語の先生達も全員イギリス又はアメリカへの留学経験を持つ先生でしたし、外人の先生もいました。又、 高校では当時としては珍しく第2外国語があり、私もドイツ語を学び一応単位は取りました。 楽しかった思いでは尽きませんのでこの位に致します。

 

<大学生時代>

左側の写真は大学受験の写真で、右側は大学入学した直後に校庭で写した写真です。

中学・高校と勉学はそっちのけで人生を楽しく過ごした為大学も希望通りには行きませんでした。それ故大学 生活も殆ど学校へは行かず遊んでばかりいました。この辺の状況はあまり人に話せる様な内容ではありませんので 割愛させて頂きます。但し、1年生、2年生の時は一般の学生より勉学に励み、この2年間で重要な必須科目は (クラス200名の中で12名だけ)全て収得しました。その効がそうして3年生、4年生は遊ぶ事が出来た訳 です。大学を何とか4年で卒業して一旦は一般企業に就職を決めましたが、入社直前で辞退し東京を後にしました。

 

※第二期間

<成熟期>

学生生活を終了して、いよいよ社会人となりましたが、少しつまずいてから公務員になりました。そこも2年間で 退職し義肢義足の開発研究機関に就職しました。ここでの仕事は義肢義足を開発するための基礎的なデータの収集 で、つまり人間の手足の動作分析です。と言っても全くの初めてですからデータを取るための計測装置の開発から 開始しました。人の歩行状態を常に真横からムービーで記録するための自動追尾装置、足の着地状態から人の体重心 を測定するフォースプレート、足の接地状態を観測するためのフットプリント、等数限りなく開発しました。又これ らの装置は日本では初めてに近い状況でしたので学会に発表する機会にも多く恵まれました。この様な恵まれた環境 で仕事をしていましたが、思うところがあり退職してアメリカに行きました。
アメリカでは人工心臓の研究機関に居候させて頂きましたが、この短い期間に長い人生でも滅多に経験出来ない様 な体験をさせて頂きました。
その1: 心臓移植手術を目の当たりに見てきました。真夜中急に呼び出されたのでカメラを 持っていかず写真を写していないのが今もって残念です。
その2: 当時スペースシャトルは計画段階で宇宙飛行士が訓練を受けていました。アメリカは ヒューストンでしたのでNASAの見学を2度行いましたが、うち1回は予め予約を取りスペース シャトルの内部を見る事が出来ました。
地上の設備ですが飛行士の訓練用のシャトルに乗った訳です。
その3: 当然ですが牛を使用した人工心臓の実験に立ち会わせて頂きました。
その4: 時間の許す限り旅行をしました。ニューオリンズ、サンアントニオ、マイアミ、 メキシコ、ガルベストン等の南部の都市を観光しました。この観光旅行がその後私が海外旅行を生き甲斐と するに至った原因だと思います。
その5: アメリカでは旅行と異なりアパートを借りで普通の生活をして、食料の購入等を 始め生活に必要な事項を経験しました。その中の最たるものはアメリカの運転免許証の収得です。
右側の写真は借りていたアパート、
左側下段は運転免許証、
右側下段は1ヶ月単位で
レンタルしていた車です。
車種はFORD・LTD‐Uで排気量は
8リッターでした。

 

左側上段の写真は
居候していた研究所の前景、
右側下段はミッションコントロール・セン
       ター、
左側下段はNASAサターン5型ロケット
       のエンジン部分です。
   

この居候生活に終止符を打って帰国しましたが、4月から勤める筈であった某大学の定員が削除されてしまい、浪人 生活を余儀なくするに至りました。もし、この定員減がアメリカ在住に私に知らされていれば、あるいは今の松栄電子 は存在していないかもしれません。浪人生活を何時までも続けているにはいかず個人で松栄電子研究所を創立しました。 5年後に株式会社に組織を替え現在に至っております。会社になってからの状況は会社のホームページを参照して頂き 私の経歴の概説を終了します。ここまでで「成熟期」を終了し「成楽期」に入ります。

 

※第三期間

<成楽期>

「成楽期」を51歳からとしていますが、厳密に思ってはいません。人は余暇を楽しむ事を物心が付いてから 自然と行って来たと思います。私の信条として、これまでの期間は勉学・仕事を快楽より優先して行う様にして来ま したが、「成楽期」の歳からは快楽を優先的に考慮する様に信条を変更したに過ぎません。従って当然ながら仕事は 今まで通り行って行きますし、必要ならば勉強もします。私の趣味は「旅行」「ダイビング」「射撃」等が有ります。 但し、射撃は今は休息状態です。「旅行」に関して言えば仕事を忘れて国内の温泉巡りか、ダイビングを主とした海外旅行、 そして観光目的の国内外の旅行です。ちなみに今までに観光した国名(都市名又は名所旧跡名)を列記しますと
アジアでは
韓国(ソウル、釜山、慶州、補項、白岩、孟徳、紅稜
   補項には仕事上十数回)
中国(北京、南京、上海、蘇州、南通、楊州、無錫、西安、桂林、香港、マカオ)
シンガポール
インドネシア(ボブルドール、バリ)
タイ(バンコク、アユタヤ、プーケット、チェンマイ)
フィリピン(セブ、エル・ニド{ミニロック、ラゲン}、アニラオ、クラブパラダイス)
カンボジア(アンコールワット)
マレーシア(クアラルンプール、ペナン島、ジョホバール)
インド(デリー、ニューデリー、アグラ{タージマハール}、ジャイプール)
台湾(ほぼ全域)
ベトナム(ハロン湾) ネパール(カトマンズ・ポカラ・ナラヤンガート・デヴガード・チトワン国立公園)
ミクロネシアでは
サイパン:ダイビングが目的でそれぞれ数回
グアム:ダイビングが目的でそれぞれ十数回
テニアン
ニューカレドニア
フィジー(マナ島、スパ、コーラルコースト、ナンディ)
北・中アメリカでは
カナダ(バンクーバー、ジャスパー、バンフ、カルガリー、トロント、ナイアガラ、ケベック)
アメリカ(サンフランシスコ、ロサンジェルス、ラスベガス、ニューヨーク、ワシントン、
     ボストン、バルチモアー、デスバレー、グランドキャニオン、ニューオリンズ
     サンアントニオ、ガルベストン、マイアミ)
ハワイ(オファフ、ハワイ、マウイ、各島)
メキシコ(メキシコシティー、オアハカ、ミトラ、タスコ、アカプルコ、メリダ、ウシュマル、
     チェチェンイッツア、カバー、カンクン、コスメル)
オセアニアでは
オーストラリア(ケアンズ、シドニー)
ニュージーランド(ほぼ全域)
ヨーロッパでは
イギリス(ロンドン・ウィンザー・ブリストル・カーディフ・ソールズベリー・バース)
フランス(パリ、モンサン・ミッシェル、ロワール古城)
イタリア(ローマ、ピサ、フィレンツェ、ミラノ、ベニス)
スイス(インターラーケン{アイガー登山電車}、ベルン)
オランダ(アムステルダム、ロッテルダム、デン・ハーグ)
ベルギー(ブリュッセル、アントワープ、ゲント、ブルージュ)
ハンガリー(ブタペスト)
チェコスロバキア(プラハ)
オーストリア(ウイーン)
デンマーク(コペンハーゲン)
スエーデン(ストックホルム、ゲーテボルグ、その他不明個所数カ所※注1)
ノルウェー(オスロー、ゲルゲン、フヨルド、西海岸をクルーズしながら沿岸の都市、ノールドカップ)
ドイツ(ベルリン、ロマンチック街道)
ギリシャ(アテネ、地中海クルーズによる島巡り)
アフリカでは
エジプト(カイロ、ギザ、ルクソール{王家の墓})
2007年に訪れた諸国は
1月:ソウル(買い物、チャングムの誓いのロケ地観光)
2月:中国(上海へ上海蟹を食べに!!、フィリッピン(アニラオへダイビング)
3月:イタリア(ミラノ、ベニス、フィレンツェ)、ソウル(買い物)
4月:ドイツ(ロマンチック街道)、ソウル(タンクテスター売り込み)
5月:サイパン(ダイビング)
6月:ハワイ(JALのサファイヤへのポイント獲得のため・・不純な動機?)
7月:ソウル(目的無し?買い物?)
10月:カナダ(ロッキー山脈、バンフ、レイクルイーズ、ジャスパー
11月:ロシア(サンクトペテルブルグ)、ソウル(買い物?)
12月:ニュージーランド(決定している予定)、フィリッピン(ボラカイ島へダイビングの予定)


※注1:スエーデンは私の妹が移住しておりますので、遊びに行きますと車であちらこちらを案内してくれます。

平成19年11月1日現在では以上ですが、同じ場所へはダイビング、仕事、観光等で数回訪れている事も有り、 海外への渡航回数は有に140回以上になります。後日このHPの体裁をもう少し整えた時に、今までの 写真をお見せしたいと思っております。ダイビングは始めて12年になります、夏には国内にも行きますが 何故かいつも天気に恵まれず、国内は諦めの境地に至っております。熱帯魚と戯れる写真も後日お見せ出来る 様に致したいと思っております。

※私の意見

<政治・福祉について>

ここに記載する意見は私の独断と偏見によるもので、誰にも押しつけるものでは有りません。内容自体の 善し悪しも読む方の考えで御判断頂きたいと思います。もし私に御意見を云いたいと思われる方は是非私にお電話を下さい。
首相が阿部さんになって少しは期待しましたが、結果は残念な思いです。でも私は阿部さんが悪いのでは決して 無いと思っています。首相になったタイミングと取り巻き、そして社会情勢が変化したため貧乏くじを引いたと 思っています。従って現状に負けず信念を貫き改革をやり遂げて欲しいところです。 今年、外交問題では靖国の参拝が阿部さんが参拝しなかったため、話題になりませんでした。私の意見としては 二分化しています。靖国参拝の賛成意見としては、外国からの圧力で止める必要は無いと思っています。 外国は単に外交カードに利用しているだけで、もし首相が中止しても結局のところ別の何癖を付けるに変わりな いと思います。反対意見としてはA級戦犯とされた人の中には戦争を反対した人もおられますし、と多くの民間 人、招集礼状により不本意にも戦場に赴き尊き命を落とされた方々に対しては元首として未来永劫の平和と亡く なった人への追悼として参拝は賛成します。しかし現状として合祀している以上何ともやりきれない思いです。 戦争を始めた軍人の民間人への責任はしっかりと認識して行きたいと思います。
今の福祉政策は老人を過保護にしていると思います。夫婦で年金をもらっている場合その金額は1ヶ月 50万円にもなります。この夫婦が普通に健康で生活をしているならば何も申し上げる気持ちは有りません。 しかし2人共が病院に入院したらどうなるでしょうか、医療費はほぼ無料に近い状況です。勿論食費を始め 何から何までが無料に近い状況です。そしてこの費用は保険・税金で賄われています、この事が医療保険の 赤字を招いている元凶です。では年金はと云えば老夫婦の家族が優雅に生活する事に使われています。 そして老夫婦の健康が取り戻せても大抵の家族は引き取りを拒否し、挙げ句の果ては逝去するまで施設に入れ てしまいます。私の意見はせめて入院中は生きて行くに必要な費用くらいは年金から支払われる様なシステム にして、少しでも保険の赤字分を減らして行って欲しいと思います。
 保険料・税金を老人に手厚く支給するのでなく、これからの日本を背負っていく人の為に使って欲しい と思います。今一番生活費を必要としているのは30代〜40代の人だと思います。何故なら子供を育てて いるからです。食費はもとより教育費など必要経緯費は大きく膨らんでいます。医療費も必要でしょう、 しかし老人の様に全額無料では有りません、収入も年代に応じて決して充分だと思いませんし、税金も 重くのしかかっていると思います。これでは子供を多く生み将来の日本を考える事は出来ません。
 これから迎える超高齢化社会に対応していくためには子供・青年の将来を明るく出来る様な政治を 期待しています。又喫煙を始め現代の食生活は健康上悪い物が蔓延しています。これらはこれからの 若い世代の寿命を短くしている事も憂うべき事の様な気がします。

<治安・犯罪・裁判について>

 その昔?日本は安全と水はだだである、と言われていました。1964年のオリンピックの時外国の選手団が 一番驚いたのは、水道の蛇口をひねれば飲み水が出てくる事だと聞きました。外国ではまず飲み水は購入する のが当たり前です。今の日本は蛇口をひねれば飲み水は出てきますが、以前ほど美味しくないのでは?いや 美味しくなった地区も有るようです。
 ところが事安全面ではどうでしょうか?治安は悪くなる一方だと思います。最近の傾向として犯罪者の年齢低下 、精神異常?の増加など大きな問題が潜んでいると思います。今の私の一番嫌いな言葉は「責任能力」「心神耗弱」 です。今の裁判では如何なる犯罪を犯しても「責任能力」が無いか、犯罪を犯した際に「心神耗弱」であれば 無罪放免です。精神病者でなくても人が人を殺すとき誰しも正常な精神では無いと思います。精神病を患っている から何をしても無罪はないと思います。精神病は本人が擬態がする事が可能と思います、従ってどうしても憎い 人がいた場合、長期間精神病を偽装して(病院に掛かり)本当らしく振る舞えば完全犯罪も可能と云う事です。 又「責任能力」が無ければ人を殺しても良いことになっています。一体「責任能力」とはどの様にしてその有無を 判断するのでしょうか?精神病と同じで本人の意志でどの様にも偽装・擬態化は可能です。いやむしろ正常で頭脳 明晰な人ほど可能ではないでしょうか?
 もう一つの問題は裁判の長期化と売名行為に執着する弁護士の弁護方針です、弁護士として被告人の刑を如何に 軽く出来るかがその手腕とする所だと思っていませんか?その為には手段を選ばず、また事実を曲げてまでも刑を 軽くする事に執着している弁護士・団を見ていると気分が悪くなります。私は弁護士の使命は被告人が速やかに罪 を認め悔い改めさせ刑に服する様に説得する事だと思います。しかし被告を精神異常又は心神耗弱者に仕立て上げ 裁判を長引かせ挙げ句の果ては無罪にしようとしている弁護士も少なくないのが現状で嘆かわしい状況です。
 私はたとえ精神異常・心神耗弱であろうとも犯した罪は罪として償うのが当然と思います。精神異常・心神耗弱 だから無罪(措置入院になっても)では余りにも寛大すぎる様な気がします。も一つ納得行かないのが交通事故を 引き起こして何十人死者が出ても、殺人にはならず過失致死で刑が軽く済んでしまう事です。これもやり切れない 気持ちを抱かざるを得ません。
 死刑制度に付いては確かに国家機関が人の生命を奪う事を正当かするには一抹の不安を感じますが、現状の 制度そのものは賛成です。むしろ処断すべき事は速やかに行うべきで、結審してから数年先にいやもっと先に 実施するべきでは無いと思います。法律では結審が終了したならば6ヶ月以内に実施する様定められています。 しかし法務大臣がいやがって決済しないためずるずると延命しています。そして当事者に一途の望みを抱かせ、 時として再審請求を出す様になってしまうのでないでしょうか?